コンプライアンスと思考停止の補足

昨日書いた「コンプライアンスと思考停止」で、書き漏らしたことがあるので追記しておきます。
 

それは、単にルール・規則を守れというだけのコンプライアンスの徹底は、思考停止を招いているのではないか?ということです。

昨日は↑のように述べましたが、何故、コンプライアンスの徹底が思考停止を招くのかについて触れていませんでした。
このことについての私の仮説を書く前に、簡略化した例を挙げてみます。
 
信号機のない交通量の多い交差点があったとします。この場合、歩行者や車は自己の判断で、止まったり進んだりするはずです。そうしなければ、他に頼るものがないので、必然的に自分で考えざるえないわけです。
そこに、信号機が設置されたとします。すると、信号機というルールに従ってさえいればよく、自分で判断する必要がなくなります。
仮に、生まれた時から全ての交差点に信号機がある状態だったら?…信号機設置の意味すら知らず、とにかく信号機に従ってさえいればよいという人がいても不思議ではありません。
 
これは極端に簡略化した例えですが、コンプライアンスの徹底が思考停止を招くことの私の仮説の本質はここにあります。
損保業界ではここ数年で急にコンプライアンスという言葉が広まり、その錦の御旗のもとにルールが乱立し、とにかく守れ守れと叫ばれてきました。少なくとも私が知る限りでは、何故そのルールができたのかの説明もないのが普通でしたし、酷いものはルールがないのが異常だからルールを作ったのだという理由にならない理屈を振りかざすものもいました。
このことによって、自ら考え判断することを放棄する人たちが増える土壌が形成されつつあるというのが私の見方です。つまり、今のやり方でコンプライアンスを徹底することは、思考停止を強制しているようなものであると思っています。